いま日本でいちばん、元気な都市といわれる福岡市。しかし、新幹線で福岡に降り立つと、そこはJR福岡駅ではなく、JR博多駅。ほかにも博多山笠、博多どんたく、博多人形、博多織…と、名物にはほとんど“博多”がついてきます。

じつはこのまちを正式に福岡市としたのは市政施行の明治22年で、ほんの100 年ほど前のこと。それに比べ、博多は日本最古の都市といわれ、なんと2000年以上の歴史をもつのです。歴史に関わるモノやコトにとかく博多がつくのも納得というワケ。

ところで、“博多”の語源にはいくつかの説があります。その中でも有力なのが、内外船の“泊”まる“潟”がなまって泊潟→博多となったという説。博多が古くから対外交渉の場として栄え、博多商人の多くが船を操り、貿易取引で財をなしたという史実が“泊潟説”の何よりの説得力といえるでしょう。

志賀島で発見された金印が邪馬台国論争の焦点になったのをはじめ、博多にはアジアとの交流を示す歴史に事欠きません。536年には九州を治めた大和朝廷が大陸との外交を行うために太宰府の前身となる拠点を設け、それを機に博多は太宰府の外港的役割を果たすようになります。遣唐使や遣唐僧の宿泊にも利用された鴻臚館の遺跡が福岡市のド真ん中から発掘されたことは記憶に新しいところです。

年表を少し早送りして、安土・桃山時代。豊臣秀吉が朝鮮侵略の基地として博多を選んだのも、この地が外国貿易の拠点という理由からです。当時、博多の主として活躍していた商人たちは米の集荷や船の調達に力を注ぎ、太閤町割りにも協力。博多商人が地域の商人から天下の商人に飛躍した時代でした。

博多山笠や博多織や博多人形もそんな商人たちが築いた文化の一端。商人は商人でもソロバンずくではなく、小さなことにこだわらないきっぷのよさが身上。それは博多っ子気質として現代に受け継がれています。



Copyright (c) 2001 Nagahamasyogun.Inc. All Rights Reserved.